自然の力が生きている天然醸造味噌
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店長日記:43
2011年03月15日
福島原子力発電所で起きている出来事について、現場で復旧にあたっている方々に対して、深く敬意の念を表します。当然、想定できた事態ではありますが、今は原発の可否を論じているときではなく、起きてしまった事態に対してどう対処するかということが大切ではないでしょうか。そこで、「わかめの味噌汁」のご提案です。

私がライター時代、取材先であった埼玉県本庄市のもぎ豆腐店茂木稔社長(当時)から「おまえ、実家が味噌屋なら、この一冊でいいから」と渡された「体質と食物」(秋月辰一郎先生・著)という60ページほどの小冊子。私はこの本を読んで、味噌屋になろうと意を決したのでした。

長崎に原爆が落とされた際、その救援にあたった聖フランシスコ病院医長・秋月先生が「わかめの味噌汁」の力を説いています。以下、この本からの抜粋です。

「昭和二十年八月九日の原子爆弾は長崎市内を大半灰燼にし、数万人の人々を殺した。爆心地より一・八キロメートルも私の病院の仲間は、焼け出された患者を治療しながら働きつづけた。
私たちの病院は、長崎市の味噌・醬油の倉庫にもなっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。
その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療にあたった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。」

「人間にとって、日本人にとって、味噌は特に良質の油脂とミネラルの供給源であるから、私たちの放射能の害を一部防禦しれくれたのである。この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである。」

お役にたてば幸いです。
2011年03月14日
たくさんの方からご連絡をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

私どもにとって大切なパートナーである岩手県宮古市の「とりもと」さん、社長ご夫妻、スタッフの方々全員ご無事であるとの報が入ってきました。家内と抱き合って泣きました。深刻な被災地の中から、陸前高田の八木澤商店・河野さんご一家、宮古のベーシスト・吉田さんもご無事との報が入っています。状況を考えると喜んでばかりいられませんが、生きていればなんとかなる。生きていれば。

被災地で救援活動にあたっている方々、原発の中で復旧作業にあたっている方々、現地から貴重な情報を送り続けている方々、世界中から見守り祈り続けて下さっている方々、さまざまなかたちで支援を送って下さっている方々、自分に与えられた役割を淡々と果たして下さっている方々・・・・多くの「one」の力で「world」が成り立っていることを改めて思い知らされています。みんな素敵です。感動しています。ありがとうございます。

その一方で一部テレビのひどさにはあきれ果てています。阪神大震災のとき、現場で住民の方々と多くのトラブルを起こしていたことを思い出してしまいました。非難も批判もしたくはありませんが、ショーじゃないんだから。その程度の報道しかできないなら、電気もガソリンも食料も無駄だから、すぐに放送を中止してもいいし、現場にも入らなくていい。少しは現地のお役に、安否を心配してテレビにかじりついている人たちのお役に立って下さい。「テレビ」という箱の中で生活していると自らの使命まで見えなくなってしまうものなのでしょうか。ひどすぎます。

ともあれ、まだまだ試練は続きます。私どもの工場も今日やっと危険箇所の修復が終わり、熟成庫の扉も開きました。携帯電話もつながり始めました。しばらく、仕事の具体的な予定は立てられませんが、できるだけご迷惑をおかけしないよう、そして、できるだけ誰かのお役に立つことができるよう、私どもの役割を果たしていきたいと考えています。
2011年03月13日
このたびの東北地方太平洋沖地震におきまして、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。当該地域には大切なお客さまやお取引先、同志の皆さまなどがたくさんいらっしゃいます。情報がなかなか伝わってこずに心配が募りますが、ただただ、どうぞご無事にと祈るばかりです。

私どもも大きな被害を受けました。工場近くの山が、山ごと崩れ落ち、道路や谷を埋め尽くしてしまいました。私が毎日通っている道路であり、崩落のわずか一時間前もその道路を通ったばかりでした。一歩間違えれば、と思うと身の毛がよだつ思いです。事務所の天井が落ち、書類も散乱してしまいました。停電や断水、電話の不通が翌日まで続きましたが、被害が大きい地域の状況が伝わってくるに従って、恐怖と驚きで言葉を失い、ただブラウン管に釘付けになっています。こちらも携帯電話はまだつながっておりません。多くの方々からご連絡をいただいているようですが、こちらはとりあえず無事ですのでどうぞご休心下さい。

奇しくも、ちょうど一年前のこの日は、大きな多重事故に巻き込まれた日でした。霧が深く、路面が凍結していた高架橋で、正面衝突から始まり、10トントラックに体当たりされるなど、乗っていた車が大破する状況で妻ともども全身打撲程度ですんだことは奇跡としかいいようのないことでした。いまだ身体のあちこちに痛みが残りますが、いのちを維持することができたことの意味、意義を自ら問いながらの一年でした。そしてまたこの日、この出来事。天は何を学べと言うのでしょうか。

被災現場はライフラインも寸断され、電話、携帯もつながらず、外部との連絡もとれない状態だと思います。エスカレートする報道ですが、今、一番欲しい情報は、家族や友人、知人が無事かということ。避難所で避難されている方々のお名前を丹念に調べ、急速ロールでもいいから流していただければと願っています。それが、現場と外部をつないでいる報道機関ができる一番大きな役割ではないでしょうか。

また、救援物資など、どのようにして届けることが可能なのか、情報がありません。微力ではありますが、水やフリーズドライの味噌汁など、在庫がある限り、提供したいと考えています。せめて少しでも、ほっとして欲しい、暖まって欲しい、と思っています。

ともあれ、皆さまがご無事であることをただただ祈っています。この試練は、必ず乗り越えられます。人は、負けない。


株式会社はるこま屋
五月女清以智