自然の力が生きている天然醸造味噌
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2011年4月
店長日記:4
2011年04月29日
事後の告知になってしまいましたが、27日(水)に東京・御茶ノ水「山の上ホテル」で開催された「日本の酒メッセ」に出展させていただきました。

http://www.shuhan-biz.jp/

その名の通り、酒販店さま・飲食店さまなど酒類販売関係者を対象にした日本酒の展示試飲会なのですが、伝統調味料として、味噌、醬油、みりんのメーカーが各一社づつ参加し、ありがたいことに味噌醸造業としてお声をおかけいただきました。

ふたつに分かれた会場に、全国から集まった蔵元が40社以上。なかなかの熱気に包まれた展示会でした。

せっかくの機会なので、味噌とともに漆器の酒器を提案させていただきました。「漆の革命児」を呼ばれた故・角偉三郎氏の意思と意匠を継いだ、ご子息の角有伊氏率いる角漆工房の作品です。これが、すばらしい。私どもは「料理は器で味が変わる」と考えており、よりおいしく味噌汁を味わっていただきたいと漆器のお椀を探し求め、たどりついたのが輪島の角漆工房でした。お椀はもちろんですが、酒器もすばらしい。私自身、この酒器を手にしてから、日本酒の消費量が飛躍的に伸びた気がしています。使うのが楽しい。そして、日に日に少しづつ成長していく器を手にするのが楽しみでもあります。そんな楽しみをより多くの方にも味わっていただけたらと思っています。

これらの作品はいずれHPでの販売も始めたいと思っています。どうぞお楽しみに。そして、よろしくお願い致します。

「日本の酒メッセ」はとてもキモチのいい時間でした。来場者も出展者も「醸造」という世界にまじめに取り組み、そして広げていきたいという気持ちが充満していたように思います。思いがけず、多くの方からお声をかけていただきました。自分たちの作っている味噌が、こんなに多くの方々に届いていたということに、改めて感謝です。

だから、また思いました。「がんばろう、オレ」と。
2011年04月26日
良く晴れた24日の日曜日、都内で開催されたふたつのイベントに参加するため、上京してきました。ひとつは「アースディ東京」 http://www.earthday-tokyo.org/ もうひとつは取引先でもある「らでぃっしゅぼーや」が主催したチャリティーイベントです。 http://corporate.radishbo-ya.co.jp/info/info_571.html 好天のおかげもあって、どちらも大盛況。多くの仲間とも再会でき、状況が状況なだけに、有意義な時間を過ごしました。

われわれのような、ひとさまの口に入るものを生産している者にとって、同じ志でものづくりをしている仲間は、どこか「根っこ」でつながっているような深い結びつきを感じることがあります。もちろん、それを買って下さるお客さまも含めて。そんなつながりを、勝手に「根っこワーク」と名づけました。当日、インタビューを受けながら、ふと、湧いたコトバです。ただ、お金とモノのやりとりではなく、そこに「意思」のあるつながり。そこに身を置いていることを、改めて心強く感じました。

「我、汝の意見に反対す。されども、汝の意見する権利、死すとも擁護せん」・・・私が学生時代に在籍していたクラブには、そんなモットーがありました。

人それぞれ、立場も経験も意見も違うのはあたりまえです。しかし、違うことを認めないことから諍いは起こるのだろうと思います。

少しひねくれた考えなのですが、「ひとつになろう、ニッポン」といわれても、国がひとつになって戦争に向かっていった過去を考えると、素直に同意できないところもあります。

ひとつになんか、ならなくていい。ただ、それぞれがそれぞれに今回のことを捉え、考え、そしてなんらかの行動に反映できれば、それでいいのではないでしょうか。

みんな、自分にできることを探しています。

2011年04月23日
20日、21日と三陸の地を踏みました。陸前高田から大船渡、釜石、宮古へと。今まで何度も足を踏み入れたことのある街ですが、現実に目の前に広がる光景に、言葉を失い、カメラのシャッターを押すことができませんでした。

震災以来、初めて上京した宮古のとりもと社長が帰り道に寄って泊まっていかれ、そのまま同乗させていただいて訪ねた三陸でした。かつて、長野県王滝村の大地震や神戸の震災でも現地に伺っていましたが、そこでなにが起きたのか、この目で確かめたかったのかも知れません。

あるはずのものが、何もない。街ごとさらわれてしまった陸前高田。ささやかな支援物資がなんの役にたったのだろう。笑顔のない再会。そこで自分にできたことは、消えた街に向かって、ただ手を合わせることだけでした。

この日やっと全面開通した東北本線の各駅停車を乗り継いで岐路につきながら、ひとつだけ、明確に思ったことがありました。「がんばろう、オレ」と。

三陸の被害は津波によるものがほとんどで、地震そのものの被害は栃木の方がよほどひどい印象です。多くの屋根瓦が落ち、大谷石の塀も崩れ落ちています。私どもの工場でも隣の山が山津波を起こし、山ごと崩れてしまっています。さらに、農作物の出荷停止で、多くの生産者が苦しんでいます。

いま、自分がやらなくちゃならないことが、少し見えてきた気がしています。
2011年04月01日
本日のNHKニュースで、復興に向けて動き出した陸前高田の八木澤商店のようすが放送されました。思えば、先々代は広田湾開発に人生をかけて反対し、きれいな海を守り、先代は陸前高田の名を全国に広げる大きなきっかけとなった「太鼓まつり」を始め、そして本日新社長となった当代は陸前高田の復興に向けて烽火をあげる。これはもう運命でしょう。通洋君、とてもつなく厳しい道のりになると思いますが、これを百も承知で立ち上がった君に、心からのエールを送ります。ともに、がんばっぺな。


そのあとのニュースで、福島の放射能被害についての説明会のようすが放送され、質問したのが、ああ、なんと、私の学生時代の恩師ともいえる、I先輩ではないですか。「友が欲しくば飲みに行け。友ができたら飲みに行け」と、私の学生時代を酒びたりにしてくれた張本人です。放送されたのはほんのワンシーンでしたが、そのバックボーンにある、国のエネルギー政策に対する疑問や検察に対する不信(福島県では原発に意義を唱えた現職知事がどうでもいいような容疑で辞職に追い込まれた。その担当検察官は先に逮捕された「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」の特捜部主任検事だったとされている)など、いろんな想いがあったはず。I先輩は酒だけでなく、物事の本質を見る目を教えてもくれた方でした。

都会の快適な暮らしの犠牲になり、避難せざるをえなくなり、農業も、畜産も、恐らく漁業も、風評被害で生活も生業もなりたたなくなりつつある福島県の方々。私はもう50歳。この程度の放射能(事態が悪化すれば話は別ですが)に神経質になるトシではありません。食べるぞ、福島県産。持ってきてよ福島県産。そんな想いでいる方は、私だけではないはずです。